吾輩は、高校3年の時に、鏡と言うタイトルで短編小説を書いたことがある。

その小説で吾輩は、現代の生活と比較しながら、古代人の理想を描いたつもりだ。

この小説では、ある日、何気なく古道具屋で買った鏡が、吾輩に語りかけてくる、という出だしではじまる。

ある日、鏡が、今の君は幸せかと問いかけてきたのだ。

そこで吾輩は必死に鏡に向かって答えたのだが、なぜか吾輩は死んでしまうことになる。

吾輩が買った鏡の周りには、99体の仏が彫られていた。

死んで、吾輩は古代人の理想の世界を見た。

太陽の光が惜しげも無く降り注ぎ、清らかな水が滾々と湧き出る泉があり、空気は澄んでいた。あたり一面に、果実が豊かに実っていた。

そこには、ひたすら瞑想をしている人々がいた。

その彼らからは、雑草のように根強い生命の力を感じ取ることが出来た。

いつの間にか吾輩も彼らとともに瞑想していた。

光の中で吾輩は感じていた。

地球の回転を、大自然の流れを、そして大宇宙のエネルギーを。

朝が来て、夜が来て、四季が移り変わるときを。

生命が誕生し、ついには消滅するまでを。

体内を流れる血液を。

自然にかかわりのないものは無かった。

その中で吾輩は見た。すべての盛衰を。

自然に逆らうものは滅び、自然に順応しているものは栄えることを。

そして自然と一体になった時、その力はまさに絶大であることを。

その中で吾輩は悟った。人の幸福は自然と共にあるということを。

その鏡の仏は、いつの間にか100体となっていた。

そしてまたあの古道具屋のかた隅に、ほこりもはらわれずに次の人を待っていた。

こんな内容の小説である。

吾輩は、このような世界は、古代も、今も存在すると思う。

でも、何故か、壊されてしまう。

人間は、この繰り返しの中で、何かを学ぼうとしているのであろうか?